平頂山事件とは

平頂山事件の背景

 1931(昭和6)年9 月18 日、中華民国の奉天(現在は瀋陽)近郊の柳条湖附近の満鉄線上で、爆発事件が起きた(柳条湖事件)。これは関東軍の高級参謀・板垣征四郎や作戦主任参謀・石原莞爾らが計画した謀略であった。関東軍は、これを中国軍が破壊したとして「北大営」(中国軍の兵舎)を攻撃・占拠。これを機に日本軍による中国東北部への侵略が始まり(満洲事変)、1932(昭和7)年3 月1 日には傀儡国家「満洲国」が建国される。
「満洲国」は発足にあたって日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・モンゴル人の「五族協和」をうたい、「王道楽土」を実現すると称したが、その実態は全くこのスローガンとかけはなれたものであった。実態は日本人が征服者であり支配者であった。そのため「満洲国」建国後も中国人による反満抗日武装闘争はさかんに行われていた。その数は1932年春に30万人を越えていたと言われる。
柳条湖事件から1 年を迎え、中国民衆の抗日活動が活発化するなかで、日本国が「満洲国」と日満議定書を締結したその日(同年9 月15 日)に、抗日組織である遼寧民衆自衛軍が撫順炭鉱を襲撃する事件(撫順襲撃事件)が勃発する。これが平頂山事件の契機となった。

撫順炭鉱