当資料館について

「撫順」から未来を語る実行委員会の活動

 中国人戦後補償裁判の一環として1996年に提訴した平頂山事件裁判の支援活動が始まりです。2006年に最高裁で上告棄却され裁判には負けましたが、その後、さらに人の輪が広がり活動を広げながら現在に至っています。

Ⅰ 平頂山事件裁判の支援活動 1996年~2006年

 裁判は10年間に及びました。法廷でたたかう原告(事件の生存者)と弁護団を支援するため、裁判傍聴や報告集会、原告の証言を聞く会を続けました。原告は、10年間に延べ9回来日しています。来日の費用はすべて、多くの人々から「事件の解決を願う」という思いとともに届けられたカンパによってまかないました。

Ⅱ 2006年以降の活動

裁判終了後、事件の生存者の最低限の要求裁判・要求のページにリンクである日本政府の謝罪と、その証としての碑・陵苑の設置などを実現するため、市民と弁護団が一体となって活動しています。平頂山事件を多くの方々に知っていただくための市民集会、学習会、パネル展示、国際学術シンポジウムなどを行なっています。とくに、平頂山惨案紀念館と撫順戦犯管理所がある中国・撫順市の市民との交流を重視しており、互いに行き来するなかで、多くの友人をつくり、信頼関係を築いてきました。生存者の要求実現のために国会議員の協力を求める取り組みも行っています。